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混沌する世界

 私は、これから、人類滅亡の危機等について考える。なぜ人類滅亡の危機について考えるのかというと、この難問は、人にとって最大であり、最終的に辿り着く問題だからだ。
 というのはやめて、テーマは自由にする。今日の私は活気で溢れていて、それどころではないからだ。今日、疑問に思ったのが、「疑いや嘘の無い社会を作れないだろうか」という事である。私は、家族や友達が疑っているのを目にして、消えてほしいと思い、嘘を目にして、どうしようも無いと思っていたからだ。私は他人の顔色を窺い、あらぬ罪を指摘されないかと一挙手一投足に慎重になり、怯えながら過ごしている。
 まず、判るのは(私は、気持ちや、イメージ、『形のないもの』や『曖昧なもの』や『意味の深いもの』については『解る』を使う。私にとって興味がなく、ちっぽけな事や、ただの事実について言う時には、『分かる』を使う。そして、このブログでよく使うようにする、深さもオーラも無く、さっぱりしていて、判り易い物事、興味が有る事、特に、間違えたくないことや、皆に知っておいてほしい事は、『判る』を使う。)、「疑う原因は、『嘘』というものが存在することを信じているから」という事だ。私は、何故、人を疑わないのかというと、今まで、疑われてきた経験を沢山持ち、悔し涙でいっぱいの心を知っているからだ。私は、そのせいで信用を多く減らされていった。とは逆に、他の人への信用は深まっていったと言うことだ。よく、疑う人がいるが、「疑われている人が犯人だ」というのはとんだ間違いだ。何を根拠にそう言っているのか。はっきりした根拠は無いだろう。1番の証拠、というより、無ければならないのは、本人が申し出ることだろう。本人が申し出なければ、犯人は居ない、とみて良いだろう。「君は犯人ですか?」「いいえ、違います。」「そうですか。」の3つのやりとり、ただそれだけで良い。または、こうだ。「君は犯人ですか?」「はい、そうです。本当にすみませんでした。」「これからは気を付けるんだぞ。」いわば、ロボットを意識する。もっと判り易く言うと、「事実を聞いたら、その事実だと思う」「自分が犯人だったら『そう』と、違ったら『違う』と伝える」「自分が悪かったら素直に『自分が悪い』と言う」「人の言ったことが正しくないと思ったら『正しくないと思う』と伝える」ということ。要約すると、2つの言葉が生まれる。「嘘をつかない」「疑わない」だ。「嘘をつかない」に、「自分が犯人だったら『そう』と、違ったら『違う』と伝える」「自分が悪かったら、素直に自分が悪い』と言う」「自分の言ったことが正しくないと思ったら『正しくないと思うと伝える』」が入り、「疑わない」に、「事実を聞いたら、その事実だと思う」が入るだろう。心の中に審判員が住んでいる様なものだ。「嘘をつかない」「疑わない」の否定的な面を無くすと、「全て真実を言う」と「全て人の言う事は信じる」だ。これこそ、汚い物が少しも混じっていない、正当な、機械の様な審判員だと考えている。どんな状況においても、自分の気持ちで左右せず、冷静に考えることが必要だ。
 切りが良いので言っておくが、ここには、私が思った事実しか記述しないため、曖昧な表現はできるだけ避けようと思っている。事実を探る為に、曖昧な表現はできるだけ避けようと思っている。事実を探る為に、少しでも無駄な埃は取り払っておきたい。飾り過ぎると、書く時間がかかり、途中で書きたかったことを忘れてしまうからだ。この日記は、自分と自分で討論しあうための日記だ。少し文章が整っていなくても、同じ言葉を繰り返して使ってしまっても、綺麗な言葉を使っていなくても、事実が兎に角判れば良い。例えるなら、これはただのメモだ。事実を書き上げ、自分で答えを見つけていくための日記だ。(漢字の勉強も、少々兼ねている。)しかし、他人がこれを見ても、良いだろう。何故なら、新たな考えを知ってもらう事が可能だからだ。生麦生米生卵。(これはかなり重要なので誤解しないでほしい)
 なお、曖昧な表現や、形のないものや、楽しんでもらう事を主とする作品は、小説やポエムのカテゴリーに入れている。それは、通常の日記とは違い、下書き・清書をしてから投稿している。しかし、それらに分類されていない通常の日記は、全てがメモだ。要は、楽しみたい人はこの日記より小説やポエムの方を見ろ、という事だ。この汚い日記は、文章も雑だが、そこは許してほしい。(「特別なカテゴリーに含まれている記事」「それ以外の記事」の比較)もう一度言うが、この汚い日記より、ホームページから飛んで見れる特別なカテゴリーに分類されている記事は、一言一言、言葉を選び、丁寧に書いてある。そちらの方が勧められる。
 さて、この疑い深い社会を俯瞰してみると、残念ながら、上に記した、機械のように私情なしで判決を下す「審判員」は中々いない。これでは形容的に語彙を使用される機会を永遠に失った言葉が可哀そうなので、これからは、高慢に間違った判決を下す彼らを特別に、皮肉を込めて「審判員」と呼ぶことにする。誰かが過ちを犯したときや負の面を晒したとき、または、そのように誤解させたとき、審判員(周辺の人々)はどのように決断を下すだろうか。私は、当人の犯したとされている罪の大小は、審判員の下す判決に影響しないと断言できる。判決は時に当人の一生を変えてしまうのにも関わらずだ。それでは、何が彼の運命を決めるのか。答えはただ一つ。「愛」だ。審判員が愛する彼の人殺しは、一方で審判員が憎む彼女のデコピンより罪は軽い。彼女のチョップは懲役40年、いや、終身刑にもなり得る。勿論、これは、実際に法という形で定められ施行されている裁判とは無関係だ。私が言いたいのは、盲目で高圧的で先入観に縛られた一般市民の視線がいかにいたずらに他方の人間の運命を支配しているかだ。こう述べると、愛が悪であるかの印象を受けるが、そんなことを感じていては上手く生きていけないだろう。形ある私たちが能動的に変わっていかないと社会は改善しない。審判員は人を愛しすぎるがあまり、例え人が悪いことをしても、良いように解釈したり、許したりしてしまう。愛は武器であり、盲目な審判員たちをたらし込む。その一方で、当人に対して愛が無ければ、何事も怪しく見えたり、良くない印象を持ったりする。時には、怒りの判決を下し地獄に叩き落す。
 以上のことから、人の量刑は機械が全面的に判断するべきだと考える。疑いのない社会を作るためな完全な方法は、それしかない。しかし、日常の些細な出来事をいちいち機械にかけて判断することはできないので、疑いの無い素晴らしい社会を作るのは現状不可能だ。でも機械技術が進化しつつある現在、変革の余地はある。
 By the way,技術といえばAIテクノノロジー。近年、AI技術が恐ろしい進化を遂げて、私たちの生活に侵入しつつある。人間がシンギュラリティーを迎えるのも時間のプロブレムだ。私は人間がこれ以上AIの力を借りることに全面的に反対する。
 というのは建前の意見で、本当はどうでもいい。ここのページに書いたこと全てに何の意味もないし、伝えたいことは何もない。だから、どうか真面目に読まないで欲しい。



















\(^o^)/




コメント

  1. ミギキキ(吹き消す) より:

    まさにケイオスな文字と文章のフラッディングでした,

  2. jinsei7568 より:

    小説や詩だけでなく通常の日記からも特別な才能が窺えますね。
    それゆえに生きにくいこともあったんでしょうね。

    と、真面目に読んでみる。

    \(^o^)/

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