次から次へと、私の周辺を後退していく物体。
その中で、唯一、自身は逆流して通学路を行く。
片目を塞いだら、どちらの景色が面白いだろうか。
薄いが鮮やかであるスクリーン。
その膜を下ろすと、もう片方の目は独りぼっちになる。

無限世界であるかのようで狭い底。
小さな石の一つ一つが敷き詰められている。
その地面が歪んだところには、目から見て、急角度の面が現る。
微妙なその面は、実際の面積より短縮して見える。
すると、縮小された石は、どのような形を成しているか。
押され、山の様に盛り上がっているのだろうか。
それとも、へこんでいるのだろうか。
それは、独りでは、とても解らないものだ。
今は、相棒が異なる世界へ行き、膜を閉めているからだ。


相棒は、スクリーンに映った、彩の映画を見ている。
上を仰げば、林檎に染まった幸福のような色。
膜が素直に太陽の光を通した色。
つまり、血脈に光る明るい色だ。
うつむけば、冬に焚をともし、消えた後の悲しい色。
光を受けず、底を見つめた色。
つまり、冷めた灰の色だ。
前を向けば、空と海が一体になった輝く色。
恐れずに、未来に視線を通した色。
つまり、勇気の結晶であるエメラルドの色だ。
面白いことに、片目を閉じれば、二つの景色を楽しめる。
謎の歪みの世界と、彩の映画の世界が。
そうして、通学路を行く。
※父に見せたら、意味が分からないと言われたので、挿絵をつけました


コメント
かえではんの多才さに脱帽です。
普段、読書しない自分が文章に引き込まれているのにびっくりしました。
宇宙、そして諸行無常・・・、
パパの直球w
なるほど、挿絵はそういう意味か。
一つ目の挿絵の右の文章は、開いた目で見えている物の描写。
相棒(=もう一つの目)がいない(=閉じてる)ので、視野が狭くなり立体感もない。
–紅葉で挟んで–
二つ目の挿絵の右の文章は、閉じた目で見えている物の描写。
スクリーン(=瞼の裏側)には映画のように色が映る。
上を向くか下を向くか前を向くかで光の入り方が違うので色も変わる。
通学路は、いつも見慣れた景色のこと。
「同じ景色でも見方を変えれば見える物が変わる。」
こんな考察どうでしょう?